金閣寺
金閣寺(鹿苑寺)
金閣寺見所ガイド
金閣寺案内図
金閣寺(きんかくじ)と呼ばれていますが正式には鹿苑寺(ろくおんじ)といいます。金閣寺の歴史を振り返ると古くは鎌倉時代に藤原一族の藤原公経(西園寺公経)(さいおんじきんつね)がこの地に西園寺を建立しました。
鎌倉幕府滅亡後、荒れ果てた西園寺を足利義満が譲り受け、「北山殿(北山第)」と呼ばれる大規模な邸宅を造営しました。邸宅とはいいながら御所に匹敵する大規模なもので義満はここで政治の実権を握りました。
足利義満の死後、遺言により北山山荘は舎利殿(金閣)を残して解体され禅寺となりました。禅寺の名前は義満の法名鹿苑院殿から二次をとって鹿苑寺と名付けられました。
- 山荘北山殿造営
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応永4年(1397年)
足利義満(足利3代将軍)造営 - 鹿苑寺創建
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足利義満の死後
開山 夢窓疎石 - 文化財など
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絹本著色足利義満像、大書院障壁画(重要文化財)
庭園(特別史跡、特別名勝)
1994年世界遺産登録 - 拝観料、拝観時間
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大人・高校生400円、少・中学生300円
(団体扱いはありません)
午前9時~午後5時 - 駐車場
- 有料駐車場あり
- 問い合わせ先
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〒603-8361 京都市北区金閣寺町1
TEL:075-461-0013
金閣(舎利殿)
金閣寺 舎利殿
金閣寺を代表する建物です。漆塗りに金箔を張ったこの建物は舎利殿で、足利義満が造営した北山山荘で唯一解体を逃れた建造物です。残念ながら1950年の失火で全焼しましたが、1955年にほぼ焼失前の状態に再建されました。上層の天井板は「楠天井の一枚板」であったと言われていますが焼失したため確認はされていません。金閣寺の失火については「三島由紀夫の金閣寺」や水上勉の「金閣炎上」など文芸作品の題材ともなりました。
3層構造の豪華な造りの金閣(舎利殿)は2層目、3層目には漆に金箔が押されています。金閣は各層に別々の建築様式を採用した異色の造りになっています。屋根はこけら葺きで頂上には鳳凰が輝いています。
金閣・建物構造
- 1層(初層)
- 寝殿造りで法水院(ほうすいいん)と呼ばれ、 中央に宝冠釈迦如来像、向かって左に足利義満像が安置されています。
- 2層
- 武家造りで潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれ、 岩屋観音像と四天王像が安置されています。
- 3層
- 禅宗仏殿造りで究竟頂(くっきょうちょう)とよばれます
- 屋根
- 椹(さわら)の薄い板を重ねた柿葺(こけらぶき)で上には鳳凰が飾られています。
夕佳亭(せっかてい)
金閣寺 夕佳亭
金閣寺 貴人榻
夕佳亭(せっかてい)は江戸時代の茶道家金森宗和が建てた数寄屋造りの茶室です。夕佳亭は小高い位置にあり、夕暮れ時にここから眺める金閣(舎利殿)が夕日に映えて殊の外美しいことから、夕日に佳い茶室夕佳亭と名付けられました。
夕佳亭の正面にある床柱は有名な「南天の床柱」です、茶席に南天が使われるのは珍しく有名になりました。夕佳亭は明治初年に焼失し、明治7年に再建されました。平成9年(1997年)にも解体修理されています。
夕佳亭のそばに貴人榻(きじんとう)と呼ばれる椅子のかたちをした石があります。少し小さいですがまさに椅子の格好をした石です。
庭園(鏡湖池)
金閣寺 庭園
金閣寺(鹿苑寺)の境内(約4万坪)の半分以上を占めるのが鏡湖池(きょうこち)をはじめとする庭園です。
鏡湖池には池の中に葦原島、鶴島、亀島など大小の島があります。また室町時代には足利義満に取り入ろうとした諸大名が競って石を奉納しました。例えば、畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石には諸大名の名前が残っています。
金閣寺の西にある衣笠山を借景とした庭園は室町時代の代表的な池泉回遊式庭園で国の特別史跡、特別名勝にも指定されています。
金閣寺写真集
陸舟の松(りくしゅうのまつ)
夕佳亭から金閣を望む
陸舟の松(りくしゅうのまつ)は足利義満が手植えしたと伝えられる松で、京都三松の一つです。船のかたちをしているので陸舟と名付けられたのでしょう。
夕佳亭から眺める夕日に金閣(舎利殿)の黄金の鳳凰が輝く、絶景スポットです。この写真は残念ながら昼間の写真です。
銀河泉(ぎんがせん)
厳下水(がんかすい)
銀河泉(ぎんがせん)は足利義満がお茶の水に使ったと伝えられる泉で、今も水が湧きだしています。
厳下水(がんかすい)は足利義満が手洗いに用いたと伝えられる泉です。
竜門滝と鯉魚石
安民沢(あんみんたく)
竜門滝(りゅうもんたき)には、中国の故事登竜門に因んで鯉魚石(りぎょせき)が置かれています。
安民沢(あんみんたく)は雨賜沢・望雲沢ともいわれる池です。池の中には白蛇塚という五輪の石塔があります。ここは金閣寺創建前にこの地に西園寺を建てた西園寺家の鎮守ともいわれています。
三島由紀夫の金閣寺
1950年当時すでに世界的に知られていた金閣寺が放火により焼失したのは、日本人全員に大きな衝撃的を与えた事件でした。それは、犯人の母親が自殺するという痛ましい事件が続いただけでなく、日本を代表する作家がこの事件を題材に文学作品を発表したことにも現れています。
三島由紀夫は小説「金閣寺」を発表し、水上勉は小説「五番町夕霧楼」や「金閣炎上」などの作品を書きました。
この放火事件をきっかけに京都では多くの寺社仏閣で消火設備が整えられていきました。
三島由紀夫の金閣寺は1956年に雑紙「新潮」の一月号から十月号に連載され、その後新潮社から単行本として出版されました。小説「金閣寺」は実際の金閣寺放火事件をモチーフに、フィクションとして詩的な作品に仕上げています。三島由紀夫の金閣寺の主人公は実際の犯人とは異なり、最後には「生きよう」として小刀とカルモチン(催眠剤)を投げ捨てています。
ところが、実際の犯人は放火の後、裏山で自殺を図っています。
金閣寺放火事件(事実)
- 放火日
- 1950年7月2日未明
- 被害内容
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金閣寺舎利殿(国宝)全焼
足利義満の木像(当時国宝)焼失
観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻などの文化財6点 焼失 - 犯人
- 金閣寺の修行僧(当時21歳)
- 犯人の行動
- 金閣(舎利殿)への放火の後、裏山(左大文字)でカルモチン(催眠剤)を飲み小刀で割腹自殺を図るが、救命措置により一命をとりとめる。